もうひとつのげんちゃん家
カテゴリ
以前の記事
2012年 07月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 フォロー中のブログ
柴犬ハナの観察日記 spoon's bread spoon's dail... ばーさんがじーさんに作る食卓 母ちゃんちのご飯 ひらめき食堂 子連れで行ってみよう エリオットゆかりの美味し... Spensierata!... 最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2011年 11月 08日
翌朝早起きして平和記念公園へ。 いろいろな碑を見てまわるとやりきれない気持ちになった。 8時15分になるとメロディーが流れる。 心から祈った。 平和記念館は高校の修学旅行以来。 リニューアルされたようで印象が随分と違う。 前回とても心に痛かったのは炭化したご飯が入ったお弁当箱だった。 今回どれも切なかった。 こんな思いをした日本人が居るこの国で福島の事故が起こってしまった。 原爆であろうが平和利用の原発の事故であろうが放射能で子供達に 取り返しの付かないことが起これば同じだ。 さだこさんが折った小さな折鶴や彼女が几帳面な字で書きとめた検査結果を見て 本当に生きたかったであろう無念さが胸に迫った。 何人ものさだこさんが居たんだろう。 そして今の子供達に彼女のような思いをさせてはいけない。 そう思った。 父さんは午後から仕事のためここで別れちーこと一緒に行ったのは 江田島旧海軍兵学校 現在の海上自衛隊第1術科学校、幹部候補生学校 船で渡り決まった時間に行くと案内付きで中を見学させてくれる。 無料。 但しちゃらい服装だと入れてくれない。(ノースリーブとか穴あきジーンズとか) 二つ前の記事のトップの写真が大講堂の中。 坂の上の雲でロケに使われた場所。 100年以上も経っているとは思えない。 かつて秋山真之もこの場に居たのだよ。 レンガの建物はかつての海軍兵学校、現在は幹部候補生学校 こちらも100年以上経っている。 教育参考館には東郷平八郎や山本五十六の遺髪、 海軍に所属した人たちの遺品や遺書が収められている。 とても40分で見きれるものではない。 お金を出してもなかなか見られるようなものではないものが 山ほど展示されている。 それでも展示してあるものは数%らしい。 いやいや参りました。 戦争は悲惨だ。綺麗なものではない。 けれど遺書を読んでいて必死でこの国を守ろうとした人たちのことは 忘れちゃいけないと思った。 いったい綺麗な文字と立派な文章を書いていた日本人は何処に行ってしまったんだ。 かぶりつきで話を聞いていた私とちーこ。 案内をしてくれた自衛隊OBの方に10年後は是非自衛隊に入って下さいと スカウトされたのは余談である。
by cottonweed_m
| 2011-11-08 23:58
| 旅行
|
ファン申請 |
||